徐福公園内には次の8カ所の見どころがあります。
◆徐福公園 楼門
極彩色の異国情緒豊かな楼門は、中国様式を参考に建築したもので、瓦は台湾で製造されたものを使用しています。
◆徐福像
徐福公園のシンボルとして、また徐福のイメージを鮮明にするために建立したこの徐福像は、優しく慈しみ深い表情を浮かべ、来園される方を温かく迎えています。
高さ1.9メートル、重量1.5トンの御影石でできています。
平成9年(1997)建立
◆不老の池
不老の池には、七重臣にたとえた七匹の鯉が泳ぎ、石柱には七重臣が有していた七つの徳「和」「仁」「慈」「勇」「財」「調」「壮」が刻まれています。
不老の池は文字どおり「不老長寿」を得る泉です。池の傍らには七本の天台烏薬が植えられ、その根本から生命の水がしたたり落ちています。
生命の水を受け、ゆっくりと泳ぐ七匹の鯉は、優雅さと生命の力強さを象徴しています。そばに立つ徐福(像)とともに、今もなお心に生き続ける七人の重臣と言えましょう。
また、七重臣の塚を結べば北斗七星を描いたことから、石橋を北斗七星の形に渡し、石柱には七重臣が有していた品性、人格の徳を刻んでいます。
平成9年(1997)建立
◆由緒板
徐福公園の完成を記念して中国山東省龍口市より寄贈されました。徐福についての説明と上陸の絵が刻まれています。縦1.6メートル、横3.2メートルで大理石でできています。
平成6年(1994)設置
◆徐福の墓
墓碑は二段の台石の上に建っていて、高さ1.4メートル、幅50センチの緑色片岩です。墓碑は紀州藩祖徳川頼宜が儒臣の李梅溪に書かせたものです。
元文元年(1736)建立
◆徐福顕彰碑
徐福の墓碑の左側にあります。高さ2.5メートル、幅1メートルの黒色縞状石灰岩に刻まれています。
天保5年(1834)、藩命により紀州藩儒者仁井田好古の撰・書による顕彰碑が造られました。
しかし、海路輸送中台風で沈み、現在の石碑は残されていた書により、昭和15年の紀元二千六百年記念事業として建立されたものです。
昭和15年(1940年)建立
◆七塚の碑
徐福の墓碑の右側にあります。高さ1.01メートル、幅48センチ、緑色片岩の自然石です。
昔、徐福の重臣七人を祀るという七つの小円墳が徐福の墓を中心に北斗七星の形に作られていたそうです。
大正5年熊野地青年会が建てたものです。
大正5年(1915)建立
◆絶海と太祖の詩碑
徐福の墓碑の右手前にあります。高さ90センチ、幅1.24メートルの御影石に詩文が刻まれています。在日華僑や徐福会の人々によって建てられました。応安2年(1368)、入明した絶海中津が南朝天授2年(北朝永和2年)(1376)に太祖(洪武帝)に召見され、熊野の徐福祠とその帰郷についてやりとりをした詩です。
南北朝時代には、すでに熊野の祠が中国にも聞こえ高名であったことがわかります。
昭和41年(1966)建立
その他に新宮市内には徐福に関係の深い史跡等が5カ所あります。 ⇒
新宮の徐福関連地
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